ニューヨークの病院での勤務で、心身ともに深くダメージを負い、それまで避けてきた日勤を考慮するに至った経緯は、
以前の記事に書かせていただいた。
ニューヨークの病院で働いて その①
ニューヨークの病院で働いて その②
当然、大半の人間は夜勤ではなく、日勤で働くことを希望するので、
夜勤に比べて、日勤の求人は少ないし、その限られたポジションを巡って、
応募者間の競争も熾烈である。
というわけで、次の仕事先を日勤で探すにあたり、
一筋縄でいかないことを覚悟し、戦々恐々として臨んだ。
しかし、である。
2,3の病院へ応募した後だったろうか。
セントルイスの病院から、なんと電話面接もなく、あっさりと内定をもらえた。
これには、驚くも、拍子抜けした。
そして、文字通り「うまい話には裏がある」というのを、後ほど思い知らされることになるのだったが…
1年半住んだニュージャージーのアパートを、仕事納めから1週間で片付け、荷物をまとめて引っ越した。
この間に、さらに精神的ダメージを負う一件があって、これで無事にセントルイスまで運転していけるのだろうか、
と危ぶまれる事態に陥ったものの、満身創痍の中、出発した。
3日かけて、セントルイスへなんとか無事に到着し、3か月の住まいを決め、勤務に備える。
見慣れぬ初めての場所、病院ではあるけれど、トラベルナースになって場数を踏んできているので、
ルーティーンという感じで、この辺はほぼ機械的にこなすことができるようになっていた。
今度の勤務先は、これまで働いたことも、そして見たこともないぐらいの、超巨大な病院だった。
どれぐらい巨大かというと、普通のちょっと大きめの病院が3つ合わさったぐらいある感じだった。
その病院は高速沿いにあったのだけど、病院の敷地が高速の出口2つ分にわたっている、といえば、
具体的にどれだけ広いかはおわかりいただけるかと思う。
何もかも古めかしかったニューヨークの病院とは違って、勤務先の病棟は新築のきれいな建物にあって、
気持ちよく勤務できそうだった。
しかし結果はというと、この勤務先にはこの勤務先ならではの深刻な問題があり、
さらに、私にとって初めての日勤だったために、やっかいな事態となってしまった。
今回の勤務は身体的な負担はなく、体を休ませることができたのは、とてもよかったと思っている。
しかし、ニューヨークの時とは違った方向で精神的な痛手を大いに受けることになってしまった。
朝型の生活に切り替え、ダイエットも始め、転がり落ちるような体調の悪化をなんとか食い止めることはできた。
しかし、そこから上向きにいく段階にはまだいけず、相変わらず体調不良は続いていた。
契約期間の半分以上が過ぎ、そろそろ次の仕事先を考えなければならない時期に来たが、
この時点で、看護師の仕事を続けること自体を、しんどく感じている自分がいた。
今は休暇をとる時期なのかもしれない。
そう思い、契約が終わってすぐに、そのままセントルイスの空港から日本へと向かったのだった。
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