大西洋沿岸に1年間暮らして

NY

2年前の今頃は、ワシントン州・カリフォルニア州の太平洋沿岸に暮らしていた。
そして、この1年間、ニュージャージー州の大西洋沿岸に暮らしている。

NYに住んでいたのが8年間で、その間だって”大西洋沿岸に暮らしていた”と言えるのだけど。
私にとって、NYは海というよりも川沿いの町という印象が強くて、
海の側に暮らしているという気があまりしなかった。

というわけで、NJ郊外のこのビーチエリアに引っ越してきて初めて、
自分は大西洋沿岸に暮らしているな、という実感を得ることができたのだった。

私は首都圏郊外の、湘南の町に生まれ育った。
東京まで電車を使い、ドア・トゥ・ドアで1時間に行ける距離にあった。
今私が住んでいるエリアも、電車の本数は圧倒的に少ないとはいえ、
電車で1時間強でNYに行くことができ、
コロナ以前では、NYのオフィスまで毎日長距離通勤している人たちも数多くいたらしい。

1年前にここに越してきてから、少なくとも週に1回は電車に乗ってNYの中心部まで行き、
日本食材の買い物をしたり、友達と会って食事をしたりしている。
通勤こそしていないけれど、まるで湘南から電車で毎日のように都心に繰り出していた、
日本での若いころの生活と、なんだかかぶっているな、と気づく。

高い電車代を払って、一時間半以上もかけてよくわざわざ来る気になれるね、
なんて友人に言われたこともある。
でも私としては、電車は空いてて確実に座れるし、
車窓を眺めつつ、スマホをチェックしたり、オーディオブックをきいたりするのは、
何ともリラックスできる、それなりに有意義な時間なのだ。

車を運転するのと違って、眠ければ眠れるし、その間にも目的地にちゃんとついてしまうんだから、
なんて素晴らしい、と電車利用のありがたみを改めて感じでしまったりする。

20代の頃、都心にごく短期間引っ越したことがある。
でも、仕事のこととかいろいろあったのだけれど、ほんの数か月で湘南に戻ることになってしまった。

それ以来、東京に住む機会があっても湘南に居続けることになった。
私にとって、東京は湘南から日帰りで行けるところであり、
たとえ移動に時間がかかろうが、引っ越して住むところではない。
そんなふうに、自分の中で結論が出てしまったようだった。

あたかもそれと同じように、今回もNY郊外のNJに住んだのも、
自分の中ではNYは既に卒業していて、住むのなら海のすぐ近くの、
まるで湘南のような町を無意識に選んだのかもしれない。

NYに住んだ8年間。
多くの豊かな出会いと、他では得られないような様々な貴重な経験。
日本で首都圏育ちだった私が体験することができなかった、いわゆる「上京物語」のようなものを、
アメリカのNYで私は経験することができたのだと思う。

年を取ると、自分が育った街へ帰っていく人がいるように、
私もアメリカで故郷に似た町に住むことを選んだのかもしれない。

とはいっても、一か所に長くとどまることのできないノマドの性分。
気に入って快適に暮らしているこの町を、離れる準備は始まっている。

ただここにいる間は、きれいな大西洋の海岸の景色をなるべく心に焼き付けておきたいと思っている。

 

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