続・20年ののち

旅 / アナログ・ノマド

今現在、カナダのバンクーバーに滞在している。

4年前、パンデミック直前に当時働いていたシアトルから幾度か、バスで日帰りで訪れていた。

およそ20年ぶりに訪れたバンクーバーは、記憶していた以上に素晴らしく、
再びこの町に住んでみたい、としみじみ思わされた。

当時、それを実現すべく計画を立てていたのだが、
コロナのせいで頓挫してしまったのは、こちらの記事に書いた。

20年ののち 〰 バンクーバーで思ったこと

時間はかかってしまったが、こうして4年前の自分のやりたかったことを実現できたわけだ。

私がカナダでワーキングホリデーをしていたのは、2002年の秋からで、
バンクーバーには秋から春先まで滞在して、その後は東海岸のモントリオールへ引っ越してしまった。

なので、一番美しいと言われる、春から夏のベストシーズンのバンクーバーを見事に逃してしまったわけだ。

それと、ワーキングホリデー当時は生活費を稼ぐために、バイトを必死にしていたから、観光スポットに行ったり、出かけるようなことはあまりしていなかった。

というわけで、秋から冬という、バンクーバーのあまり魅力的でない面しか見ていなかったわけだけど、それでも20年前の私は、バンクーバーに恋した。

そして20年たった今、魅力的で、昔とは見分けがつかないくらい発展している姿を見せつけられている。

昔と変わってない所もあるけれど、多くの移民が来て、好景気を経て、昔は何もなかった所が開発されて町になっていたりしていた。

20年前はほんの数件しかなかった高級ブランドの店が立ち並び、アメリカの町よりもずっとTESLAの車が走っている。

時を経て立派になったバンクーバーを目にしつつ、それに引き換え自分は年を取っただけで得たものはなかったな、と複雑な気持ちにはなった。

これまでの20年間全く思い出すことはなかったのに、
特定の場所でよみがえってきた記憶というのがいくつかあった。

バンクーバーには、市バスで簡単に行ける吊り橋がある。
有名なのは、Capilano Suspensionという観光スポットで有料なのだが、
それよりも小さいけど無料の自然公園の中にある吊り橋があるのだ。

先日、その吊り橋に行ってみたら、語学学校で知り合った日本人の友達のことを思い出した。

彼女は私がカナダに来てから、初めて仲良くなれた日本人の子だった。

学校のあと、Tim Hortons等のコーヒーショップに行って、授業の感想や、先生や同級生の噂話に花を咲かせた。

時にはバスに乗って、この吊り橋に行ったりもしたのだ。

語学学校には私は2か月しか行かず、そのタイミングで彼女はビザの期限切れとともに帰国した。

その後、何度かメールのやりとりはあったが、自然消滅となってしまった。

昔、読んだ本で、「記憶はなくなることはない。ただ、それが引き出せず、思い出せなくなるだけだ」といったようなフレーズがあった。

これまでずっと忘れていたのに、彼女と過ごした時間、会話の内容が一気によみがえってきて、呆然とするぐらいだった。

吊り橋からの帰りのバスとフェリーで、彼女はずっと滞在先のホストマザーについて話していて、その時の彼女の表情まで、まるで昨日のことのように思い出された。

家に帰ってから、思わず昔のメールを検索して、20年前のメールアドレスがまだ有効がどうかチェックしてしまった。

予期していたように、そのアドレスは既に使用されていなかった。

彼女はどうしているだろう。

大人しくて、優しい子だったから、きっといいお母さんにでもなっているんじゃないかな…

彼女と連絡が取れて、この出来事をシェアできたらどんなによかっただろうけれど、その術はなかった。

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