過去記事で何度か書かせていただいたが、
正看の学校を卒業し、正看免許を取得した後、
私は大きな挫折を経験し、しばらく廃人状態になっていた。
闇の中にいた数か月間
とはいっても、仕事には行ける状態だったので、
経済的にはむしろ、看護学校時代の極貧状態から
比べればだいぶ改善していた。
挫折と困難ののちに、ようやく正看のポジションをゲットし時給は上がったものの、
それに伴い取られる税金の額も跳ね上がって、、
手取り的にはそんなに変わらないという、現実に打ちのめされていた時期だった。
そういった厳しい現実に直面し、
物価の高いニューヨークで暮らす中、将来に対する見通しというものが
全くたたなくなってしまった。
安月給で高い家賃を払い、
日々の生活費を払えば手元に残るお金は、ほんのわずかしかない。
月々25000円弱の学費ローンの返済を始めていたが、
そんなその日暮らしの状態では、300万円の返済など一生かかっても無理のことのように思えていた。
月に25000円の返済だと、ほとんど溜まっていく利子の返済にしかならず、
学費ローンの元本そのものは、ほとんど減っていかなかった。
就職はうまくいかず、
私生活でも相も変わらず、お一人様。
年だけは確実に取っていき、ますます救うところのないような人生になっていた。
さらなる借金を負って
就職運、というものに見放され、行く職場、職場がそれぞれブラックで、
問題があり、長く働けることができなかった。
転職はたいていはギャップがなくできたけれど、
予期せず、数か月失業してしまったことがあった。
失業保険はもらえず、その当時は家賃12万円ぐらいの部屋に
一人暮らしだったから、30万円越えの借金があっという間にできてしまった。
その後、通常より恐ろしく低収入の仕事に妥協してついたものの、
低収入ゆえ、日々の生活費を払うだけで、借金の返済をする余裕はなかった。
その後、標準なみの給料をもらえる仕事に転職することができたが、
通勤のため車を購入する必要があったため、そこでまたさらなる借金を負うことになった。
転機
もちろんそんな現状に不満だったし、抜け出したいという気持ちは常にあった。
しかし、どんなにあがいても先が見えず、
もうこのまま死ぬまでこんな生活が続くのか…
とあきらめ始めていた頃だった。
これもあきらめていた、病院の仕事がゲットできることになり、
ニューヨークから過疎地のモンタナに引っ越すことになった。
今回は引っ越し代は病院が出してくれることになり、
しかも3年間の雇用契約を結ぶことで、契約ボーナスをもらえることになった。
それらボーナスと、物価の安い過疎地に移ったおかげで、
学費ローン以外の、カードローンや車の借金は徐々に返済できるようになった。
モンタナの病院の給料は低かったが、家賃が大幅に下がったおかげで、
給料の低さを補って余りあるものがあった。
その後半年でその病院側の都合で失業してしまう、という青天の霹靂があったが、
今回は一か月強の失業期間ですんだ。
無事に今度はニューオーリンズの病院に転職することができ、
その際、モンタナの病院がくれた以上の引っ越し補助、契約ボーナスをもらえたのだった。
ニューオーリンズの家賃や生活コストも、ニューヨークに比べれば桁違いに安く、
さらにモンタナよりは都会で、全米有数の観光地という個性ある街だったから、
生活の質も一気にあがった。
そしてニューオーリンズに越してきてから、だいたい1年が過ぎた頃…
ここでようやく、学費ローン以外の借金をすべて返済することができたのだった。
…後編に続く…
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