数年前、ほぼ確実に取れると思っていた内定が取れなかったことで、
私は精神的に大きなダメージを受けて、心身のバランスを崩した。
就職活動で心が砕け散ったとき
以降、数か月の間、深い闇の中にずっといるような感じだった。
症状
内定が取れないと知った最初の大きなショックの後、とにかくその日の業務は済ませたことは、前回の記事で書いた。
ただ、ショックで、半分はいまだに信じられない気分で、
心が体から離れて、体が勝手に動いて仕事しているような感じだった。
最初のショック状態が和らいでくると、
次第に、怒り、悲しみ、悔しさなどが湧いてきて、一人でいる時はさめざめ泣いていた。
働いている間は、自分でもこらえていたし、気も張っていたから、なんとか体裁を保てていた。
だけど、少しでも仕事の合間で、人の目が離れると、自然に涙が出てきてしまうような状態だった。
とにかくネガティブなことしか頭になく、辛かったので、
うつ病の処方薬、代替療法等、手に入るあらゆる全てのものを服用した。
うつ本来の症状と、薬の作用で、
家に帰って、仕事へ行くまでのほとんどの時間を、布団の中で過ごすような状態だった。
何がそこまでひどくさせたか?
10代の頃の不登校から始まり、人生の中で鬱であった期間の方が長く、むしろデフォルトのような私だった。両親との不和、数々の失恋、就職の失敗、労働ビザ取得の失敗、離婚…と、
これまでだって、挫折のオンパレードを経験してきた。
なのに、どうして今回、こうまで打ちのめされてしまったのだろうか。
一つには、これまでだと、うまくいかなかったとしても、「次があるさ」と思うことができた。
しかし、今回の場合は、自分の年齢的なことや、状況的にそういうわけにはいかなかったこと。
また、病院の内定が出ることに対し、大きな期待をし、それを確信していたからだったと思う。
看護師として病院で働くことは、老人ホームで働くよりずっと収入がよく、職場の環境や条件もいい。
さらに、病院で働くことで、他のもっと高給な、看護師の仕事へのチャンスもぐっと広がるのである。
今まで、挫折続き…特に、就職において冷や飯を食わされた続けた身としては、
これまでの挫折を、一気にそそいでくれるような気でいたのである。
さらに、離婚して、他に頼れる身寄りのない身としては、
これでしっかりとした正規雇用の仕事につける、とも思っていたのだ。
そういった、単に今回の就職活動ということだけでなく、
私のこれまでの人生にかけていた最後のチャンスが全て、棒に振られてしまったのだった。
そして前回の記事で書いたように、半面、自分にない全てのものを既に持っている人が、
それを手にしたのを目の当たりにしてしまったのである。
その状態でなぜ働き続けることができたか?
自分でも不思議だったが、そんな状態でもなぜかその間、一日も休むことなく出勤していて、業務も通常通りこなしていたのである。
最初の方に書いたように、職場でもふとした合間に泣いてしまったり、
と、休んだ方がよい状態ではあったのだが、
老人ホームの方から咎められるわけでもなく、心配されるでもなく、
生温く放っておかれていたので、そのまま働き続けてしまっていた。
今にして思うと、完全に一人暮らしだったというのがあるかもしれない。
家族や親しいルームメートと一緒だったら、ずっと寝込んでしまったということもあり得たかもしれないが、
寝込んでいても、誰も頼れる人もいないため、時間が来れば起きて、自分のことは自分でするしかなかった。
また、看護学校に通って学んだことも、大きく影響していた。
精神科の授業や、実際に精神病棟へ実習に行ったとき、
アメリカでは、自殺未遂をした人がどのような扱いを受けるか、というのを目の当たりにしたのである。
それは私にとっては、あまりにも辛い扱いで、死ぬよりもさらに辛いことってあるんだな、と思ったのだ。
とても辛くて、生きていく希望などかけらもなかったのだけど、
臆病な自分が確実に死に切れる自身もなく、万が一、生き残ってしまう恐怖が、自殺を思いとどませる結果となったのだった。
怒りと自責と
悲しみと絶望感が徐々に収まってくると、強い怒りがそれらに取ってかわっていた。人生に対する不公平感、怠けていたわけではないのに、どうして自分はいつも結果を出すことができないのか、
といったことが、悔しくて悔しくて仕方がなかった。
同じ老人ホームで、正看護師で働いている同僚が妬ましかったし、
求人を出しておきながら、お祈りメールすら送ってこない採用担当者達も呪った。
電車が遅れたりだとか、そんなことですら、いちいち怒りを爆発させていた。
(あくまで自分の内部で、さすがに人前で暴れたりだとかはしていなかったけど…)
しかし、こんな精神状態はきわめて苦しく、自分を消耗させることこの上ない。
相変わらず薬などは取っていたけれど、それに加えて、さまざまなヒーリングを試したり、
スピリチュアル系の読書などをした。
そこで、「現実は全て自分がつくっていて、自分に責任がある」という考え方を知り、
さらに自分を追いつめることになってしまった。
自分自身がこんなに辛くひどい現実をつくっているなら、
本当に自分なんて大嫌いで、ろくでもなく、死んじゃえばいい、と思った。
当然、そんなことを思い続けるのは辛く、かといって死ぬにも死ねず、
ならいっそ、完全に狂っちゃう方がいいのではないか、まで思いつめたりしていた。
時間
精神的にほぼ摩滅していたある日のこと、家のトイレに座ってぼーっとしていた時に、それは起こった。突然だったのだけど、スピリチュアル系の本によく書いてある「すべてはひとつだ」とか、
そういったようなことが、すっと頭に入ってきて、理解することができたのだった。
ただ、その悟りというか閃きはほんの一瞬で、
相変わらず、スピ系の考え方には納得できない部分も多かったし、
私はうつで、怒りでいっぱいだった。
しかし、その日を境に、ゆるやかに回復に向かっていった気がする。
薬の量は自然と減っていき、そのうち全く飲まなくても大丈夫になっていた。
怒りもあれだけ毎日怒り続ていれば、そろそろ自分もうんざりしたようで、だいぶおさまっていた。
相変わらず落ち込んではいるけれど、辛くて仕方ないという状態からは、脱することができたわけだ。
薬やヒーリングはもちろん、私にとっては不可欠だったけれど、
その状態にもっていくには、やはり時間がなす癒し以外にありえなかった。
今現在の私の精神状態は、基本、この延長線上で、
辛くはないが、かといって心穏やかで幸せというわけではない、といったところだ。
これから、時間がたって、私がさらに癒されることはあるのかどうかは、自分でもわからない。
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