昨年の5月までとそれ以降で、私の人生で変化があって、
それは何かといえば、学費ローンを完済できたということだった。
転職難と借金苦と
3年間の生活で得たもの
これらの過去記事で書いたように、
離婚してからの私の人生は、常に借金とともにあり、
一時は、果たして目の黒いうちに完済できるのかどうかも
危ぶまれていた時期もあったほどだ。
そもそもなぜ借金ができたのか
私は買い物恐怖症で、洋服に対する興味も極限にないタイプで、物欲は限りなくゼロに近いタイプである。
なので、ものに対する浪費で借金ができたわけではない。
ただ、上記記事で書いたように、部類の旅行好きとして、
飛行機代や移動費などは、そうすべきない時だとしても、
躊躇なく使ってしまう傾向は否めないが。
私の借金の原因は、ひとえに就職運のなさに尽きるのであり、
無数の失業期間と。
そして、新たなキャリアを得るために通った学校代から来ていたのだった。
借金の内訳
借金のほとんどは、看護学校の学費ローンだった。私は3つの看護学校に通った。
最初は准看護師の学校。
次は准看護師から正看護師に移行するための学校。
最後は、看護学士を得るための通信制の大学だった。
そのうち、最後の通信制の大学は受講中に分割払いで
学費をその都度支払っていたので、借金はしなかった。
貧乏でもいいことがあって、看護学校のような実用的で人手不足の分野の
職業の養成の学校に通う場合は、政府から援助や控除を受けれる場合もある。
私も有難いことにそういう割引を受けれたわけだが、
それでも払うべき准看の学校の学費は、総額で250万円強だった。
日系の会社をリストラされたばかりで、たいした貯金もない私であったが、
学費の全額を政府の学費ローンで賄えると聞き、
まして看護師なのだから就職には絶対困ることはないだろう、
と見込み、私は学校への入学を決意した。
しかし、この見込みが見事に外れることになってしまったのは、
つらつらと過去記事に書いたとおりである。
(もしよろしかったら、「アメリカ看護師関連」のカテゴリーの過去記事をお読みください)
学校を卒業してから半年以上、看護師としては就職できず、
せっかく就職できても、非正規で週2日しか働けない、という有様だった…
そうなると最低限の生活をする一方で、学費の返済なんてとてもじゃないけどやってられない。
学費ローンの返済は卒業後半年からスタートするが、
収入がない、あるいは低収入であると申告すれば、
返済を猶予してもらえる。
しかしその間、利子が免除されるわけではなく、
返済すべきローンは、雪だるま式にどんどんと増えていくのである。
さらに当時の私は、自分の年のこともあり、
一刻も早く正看護師になりたかった。
なので全く経済的な余裕はないというのに、
正看護師の学校にも通い始めたのだ。
正看になるための学校の学費も、
ほとんど政府の学生ローンが適用されることになったが、
20万円ぐらいは自腹で払わなければならなかった。
で、そんなお金などどこにもないので、高金利のカードローンを借りるしかなかった。
正看の学校の学費はそのカードローンで借りた分もあわせて、
だいたい150万円ぐらいだった。
准看の学校の分の学費や、その他もろもろあわせて、
300万円弱の借金を負ったのだった。
正看の学校の後半になる頃には、
それまで週2日しか働けなかったところが、倍の週4日働けることになったので、
生活は落ち着き、一息つけることになった。
学校を卒業し、国家試験を受け、
無事に正看の資格を取得した後は、
週5日働くようになり、卒業後半年たってから、
いよいよ、学費ローンを返済し始めた。
しかし、返済猶予期間にたまった利子と、
月々の最低限度額の支払いをするのが精いっぱいで、
自分としては頑張って返しているつもりのものの、
いっこうに減らない残高に、ため息をつく毎日だった。
…中編に続く…
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