2016年の年末、ちょうどホリデーシーズンの最中に、新しい町に越し、新しい職場で働き始めた。
快適なアパートも探すことができ、また都会から過疎地に来たわけだから、運転の難易度はぐん、と下がった。
ナンバープレートも変更し、自動車保険料が三分の一近く安くなったことは、とても嬉しかった。
NYに住むまでは、これまで北米のいろいろな町を短期間で転々としてきた経験があったから、さほど苦も無く新しい生活にも慣れた。
職場も、配属先はリハビリ部門で、これも、これまでいろいろな職場を短期間で転々としてきたので、すぐになじむことができた。
病院との契約は3年間だったが、そのままずっとリハビリ部門で働き続ける気はなかった。
時期が来たら、病院のもっとメインの外科病棟か、内科病棟とかに転属願いを出すつもりだった。
リハビリ部門が別に悪いわけではないけれど、老人ホームで働いていた時と同じような状況で、リハビリ部門での勤務は、病院勤務の経験には加算されないのだ。
なので、別の病院のリハビリ部門に転職することはできても、病院の外科や、ICUなどといった部署に移ることはできなくなってしまうのだ。
これは一方通行で、逆に病院のICU勤務の人がリハビリに移りたければ、問題なく移れるし、老人ホームでだって働けるのだ。
私がニューヨークを離れ、この小さい町に引っ越してきた理由は、そうした仕事の選択の幅を膨大に広げるパスポートとなる、「病院勤務」が喉が手が出るほど欲しかったからだった。
時期が来たら、と書いたが、この病院では、他部署への転属願いを出せるのは、現在の部署での勤務が6か月を過ぎてからだった。
というわけで、6か月のカウントダウンが勤務開始から始まった。
その間、他の記事で書いたように、ニューヨークで始めた看護学士の通信教育をこちらで終わらした。
6か月までの期限にあと1か月半を切るようになった頃、転属願いを出す予定の部署に職場見学へ行ったりして、来る面接に備えようとした。
その頃になると、小さな町で暮らす閉塞感のようなものが出てきた。
もし、転属願いがどこにも受理されず、結局3年間リハビリで働かなきゃ行けないのなら、
何のために、こんな所にくるはめになってしまったのだろうか?
…、とそんな不安が頭によぎることもあったが、とにかく、やってみるしかなかった。
そんなわけで、6か月が過ぎようとした頃、まさかの事態を迎えることになってしまったのだ。

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