准看護師の免許を取って、就活を始めたものの、
数か月たっても面接まですらこぎつけることもできず、
八方ふさがりだった時のことを、前回の記事で書いた。
こんなはずじゃなかった… その2 まさかの苦戦!准看護師の就職活動
もう半ば、看護師としては就職できないのではないか、
とあきらめかけてた頃、奇跡が起こったのだった。
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一本の電話から
バイトが終わって、携帯をチェックしてみると,ニュージャージーの番号からの留守電が入っていた。
再生してみると、老人ホームのヘルパーのポジションに応募した件で、
面接に来てもらいたいので、折り返しの電話をして下さい、とのことだった。
すかさずメモを用意し、コールバックした。
相手が提案してきたのが、バイトが休めそうな日時だったので、面接の予約を入れた。
初めて、老人ホーム、看護関係の応募で連絡をもらったわけだが、
嬉しいといった気持ちが不思議なほどわいてこなかった。
一つには、別の職種で、絶対受かると思った仕事で、内定がもらえなかったショックから
立ち直れてなかったこともあり、面接に行っても結局ダメなんだろうな、なんて気になっていた。
それと、看護師ではなく、ヘルパーのポジションだったから、
自分で決めて応募したとはいえ、実際、もし仕事がゲットできたとしても、
かなり大変なことになるんだろうな、という恐れも感じていたのかもしれない。
2時間強かかって面接会場へ
面接に呼んでくれた老人ホームは、当時住んでいた下宿先から、公共交通機関で2時間かかると、googleマップに告げられていた。
何故、そんな遠くのところに応募したかというと、
最初は近場の施設から応募していったのだけど、ことごとく惨敗し、
しらみつぶしに当たっていったので、全ての施設に応募しつくしてしまっていたのだった。
そんなわけで、応募する範囲を広げていく過程で、この施設に履歴書をメールしたようだった。
”だった”と書いたのは、困難な就活をした方ならお分りだと思うが、
あまりにも多くの場所に応募しているため、
一つの一つの応募先について把握できなくなってしまっているからだ。
准看護学校時代のことを書いた記事で書いたように、
30代後半で学校に戻って 准看護学校(後編)
当時私は、首都圏で例えるなら、横浜とか川崎のような所に住んでいた。
面接に向かった老人ホームは、私がクラスメートの実家にお世話になった、
小田原とか湯河原のようなエリアにあった。
自宅から駅まで行き、電車に乗ってだいたい1時間強。
そこからバスを2回乗り継ぐことになるのだが、
1回目のバスはスムーズに乗れたものの、
2回目に乗るバスは時刻表の予定の時間を過ぎても、全く来る気配がなかった。
googleマップで現在地と目的地の距離を調べてみる。
約束の時間まであと30分ぐらいあったが、歩いて40分ぐらいかかる。
…と、書いたが、「歩ければ」という話で、
老人ホームまでの道はずっと森林地帯になっていて、地図上、家すら建っていない。
経験上、こういう場合は道は通っていても、車道のみで歩行者は歩けない場合がほとんどだ。
今、降り立ったバス停の周りも見渡す限りの原っぱと林のみだったが、
30メートルぐらい先に、コンビニのようなお店があったので、立ち寄ってみる。
ジュースとお菓子を買ってから、お店の人に、
この地域のタクシーの番号を知らないか、と聞く。
ニューヨークのお隣のニュージャージーとはいえ、
ここらへんまで郊外になってしまうと、アジア人はあまり見かけない。
面接用にかしこまった格好をしたアジア人女性が、いきなり来て、
そんなことを聞いたのだから、不思議に思ったのだろう。
どうしたの?と聞かれたので、事情を話すと、「それなら!」ということで、
知り合いの人がタクシードライバーとのことで、彼に店員さん自ら電話をかけてくれた。
20分ぐらいで来てくれるという。
車だと10分弱で行けそうなので、さほど大幅な遅刻はせずにすみそう。
老人ホームの担当者に連絡をし、
タクシーを待ってこれから向かうけど、少し遅れるかもしれない、と伝えた。
タクシーはそれから約束の時間にぴったりと来て、
短い道中だったが、運転手さんと世間話をした。
どこから来たのか?と聞かれて、住んでいる町の名を告げると、
「どうしてそんな遠くから? そっちの方が都会だし、人口も多いのだから、老人ホームだっていっぱいあるのに」
…って、私も思いましたよ。
運転手さんも、新人看護師の就職がそこまで大変だということが理解できない、と頭を抱えていた。
面接の時間に5分ほど遅れ、老人ホームに到着した。
受付をすませ、数分たった頃、担当者の方が迎えに来てくれた。
人間に姿をかりた天使
老人ホームで面接を担当するのは、大きな所だったら最初は人事の人がやったり、
たいていの施設は副婦長さんがすることが多い。
しかし、この施設は今回、婦長さんが直々に面接をしてくれることになった。
小柄でにこやかな、60代ぐらいのインド系の女性だった。
あなたタクシーに乗ってくると言ってたけど、どこから来たの?
と、聞かれて町の名を告げ、電車とバスを乗り継いできましたと答えると、
まあ、そんな遠いところからよく来てくれたわね。
と、タクシーの運転手さんと同様のリアクションをされる。
こんな感じで世間話をしながら、婦長さんは私の履歴書に目を通していた。
「…あら、あなた准看護師の学校に行って…、それで卒業して、国家試験も受かっているのよね?」
そうだ、とうなずくと、なら何故、ヘルパーのポジションに応募したのか、と当然な質問をされた。
卒業してから数か月間、応募し続けても全く手応えがなかったこと。
近場は応募しつくしてしまったので、この地域の施設まで範囲を広げたのだ、と話した。
その前の世間話の中で、私が離婚して、アメリカでたった一人でいるということはすでに話していた。
私の話を聞いて、しばらく婦長さんは、黙って何か考えていた。
「私はすぐにあなたをここで看護師として雇おうと思えばできるの。
だけど、あなたは車も持っていないし、
今住んでいる所からここに通勤するのは、ものすごく大変でしょう。
引っ越しできる、とも言っていたけど、それもお金がかかるしね。
私の看護師の友人が、確かあなたの住んでいる町で、
やはり老人ホームの婦長をしていると思ったの。ちょっと連絡してみるわね。」
と言って、私の目の前で、本当に電話をかけてくれたのだ。
婦長さんが電話をして、友人の婦長さんと会話するのを、
信じられないような気持で聞いていた。
通話が終わると、婦長さんはニコッと私に微笑みかけ、
「彼女OKだって言ってたわよ。
彼女の老人ホームの人事担当の電話番号をもらったから、明日にでもそこにかけてみなさい。
その時、私と私の友人の名前を出すようにね。」
そう言って、その電話番号と友人の婦長さんの連絡先、
さらには婦長さん本人の名刺も渡してくれた。
「困った時にはいつでも連絡してちょうだい。
アメリカで女一人で暮らすのは大変だからね。」
そして帰りは、なんと婦長さんが自分の車で運転して、バス停まで送ってくれたのだった。
婦長さん自身も、英語のラストネームを名乗ってらっしゃったのだったが、
やはり私のように、アメリカ人と結婚して、若い時に離婚されたとのこと。
それなので、私のことが他人事だとは思えなかったのだろう。
その紹介された老人ホームというのは、蓋を開けてみると、
なんとよりによって、私の下宿先から一番近くにあった老人ホームだった。
一番最初に応募して、返事がなかった施設だ。
今、こうして振り返ってみれば、偶然にしても出来すぎているような気がする。
私は神様は信じることはできないのだけど、
天使というのはひょっとしたらいるんじゃないか、と思うときがある。
ドリーン・バーチューの本にあったのだけど、
天使は人間の姿をかりて助けに来てくれる時があるという。
これまでの人生で数回、天使が助けてくれたのかな、
と思うことはあったが、この時ほどそう思えたことはなかった。
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