今現在、私は正看護師の免許を持って働いているが、
最初は准看護学校に行き、准看護師としてスタートした。
30代後半で学校に戻って 准看護学校(前編)
30代後半で学校に戻って 准看護学校(後編)
准看になって、だいたい1年ぐらいたってから、正看の学校に通い始めた。
実は、これはもともと、准看の学校に行き始めた時から計画していたことだった。
准看の学校に通うこと自体は、かなり突発的で、なりゆきに任せたところがあったが、
その後、アメリカでの看護師のキャリアについて調べていくうちに、興味と野望がわいてきたのだった。
アメリカの正看護師 准看との違い、多様なポジション
看護師といえば、やはり病院で働くというイメージがあって、
某TVドラマの影響などもあって、ICUやERで働いてみたいとも思った。
そのためには、准看ではなく正看になる必要がある。
さらに調べていくと、日本と比べてアメリカでは准看から正看になるのも、
最短1年間学校に行けば、就業経験がなくてもOKなケースがあることも知った。
当座の目的は、学校を卒業し、無事に准看の免許を取ることだったが、
そこから先、正看の学校へと入学することが、准看の学校を始めた時の私の目標になったのだった。
准看 - 正看 ブリッジ・プログラム
私が行った正看の学校は、准看を正看護師にするため専門の学校で、アメリカではブリッジ・プログラムと呼ばれている。
本来、准看の実務経験が3年ないと入学資格がないのだが、
提携の准看護学校の生徒で、成績上位者の場合は、
実務経験なしで、推薦入学でそのまま入学することができたのだ。
(入学条件などは、それぞれのブリッジ・プログラムごとに異なる)
私はこの制度を使ったのだったが、入学するまで1年間かかってしまった。
理由はというと、准看の就職活動が難航したのと、
推薦入学にも一応テストがあったのだが、
それに一回目で落ちてしまったからだった。
ブートキャンプ 看護学校版
半年弱かかり、なんとか准看護師の仕事も見つかり、その後に気を取り直して受けた、2回目のテストも無事に合格した。
意気揚々とはしていたものの、同時に不安をかなり感じていた。
というのは、ネットの掲示板でこの学校がかなりきつく、脱落者が多いと評判で、
「まるでブートキャンプのようだ」と、評されていたからだった。
准看護学校の時と違って、
週に2日とはいえ、准看として働き始めたばかりでの学校生活となるのだ。
新人看護師として、ちょうど現場の厳しさの洗礼を受けていた頃で、
日々の業務を消化するのに本当に精一杯で、
仕事が終わった後は、抜け殻のようになっていたような時期だったのだ。
まるで大学のよう
制服で週5日、朝から夕方まで授業がつまっていた准看学校に比べて、正看の学校は、私服で、登校も自分の受講するクラスに合わせてするといったように、
まるで高校から大学に進学したかのような感じだった。
実際、自分が日本で大学生だった時も、バイトと学校の両立に走りまわっていたので、
なんとも言えない、デジャブ感を持ったものだった。
心配していた授業の方は、准看護学校を終えてから間もなくて、
授業内容も准看と正看でほとんどが、だぶっていたため、
記憶がだいぶ残っていたので、学習的にはさほど苦なく進めることができた。
しかし、厳しさは准看学校の方が落第基準はシビアだったにもかかわらず、
落第する人の数はそれを上回っていたかもしれない。
とある授業など、一発で履修が終わる生徒の率が三分の一にも満たないものもあった。
この学校では2回目の落第で、学校自体を辞めなければならず、
同級生でかなりの学力の持ち主であるにもかかわらず、
仕事と子育てと学校の両立ができずに、脱落してしまう生徒も少なからずだった。
卒業
かなりきつかったが、幸い、私は今回も既定の1年間で卒業することができ、その後、国家試験も無事に合格して、晴れて正看護師になることができた。
准看になった時も、嬉しかったけれど、まだ道半ばという感じで、
正看になるという、次のゴールの方へとすでに気持ちが向かっていた。
しかし、今回は3年越しの目標をついにかなえられたということで、
准看護学校時代からの様々な出来事が、使い古された表現だが、本当に走馬灯のように次々と思い出されて、
なんとも言えない、感慨におそわれたのだった。
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