コロナウィルス影響下の、アメリカのとある医療現場より

アメリカ事情

年明けに移動して、
今年の1月からシアトル郊外の病院で働いている。

シアトル近郊は全米で最初のコロナウィルス陽性の患者が見つかり、
なおかつ最初のコロナウィルスによる死者が出たエリアとなってしまった。

病院で働いているという私の仕事柄、
そういったわけで、日本から、アメリカの他の町から、
知り合い・友人たちが心配して、連絡をしてくれた。

特に日本では、アメリカでも一番苛酷なニューヨークシティの状況が、
主に報道されているため、皆、心配になってしまったようだった。

今回こちらの記事で、コロナウィルスが発生してからの、
私が働いている病院での状況を、書かせてもらいたいと思う。

2月

まず、しょっぱなから恥を忍んで書くが、
テレビがない / あっても見ない、という生活を長らく続けていたため、
私はシアトル近郊で、アメリカで最初のコロナウィルスの患者が出ていたということを知らなかった。

なのに日本のダイアモンドプリンセス号をめぐる状況に関しては、SNSを通じて、
たくさん情報が入っていたので、詳しかった。

当時は日本が中国に次ぐ、次のコロナウィルスの震源地になる、みたいな報道がされていて、
それに比べ、アメリカでは文字通り、対岸の火事のような感じだった。

シアトル近郊でコロナウィルスの患者が出たというのを知ったのは、
職場で同僚の看護師に聞いてからだった。

以降、ネットでニュースをウォッチしていくと、
全米で最初の死者が出るわ、介護施設でクラスターが発生するわで、
シアトルは一気にアメリカでのコロナウィルスのホットスポットになってしまったのだった。

しかしこの時点でも、私個人にとってはいまだに対岸の火事のような状態だった。

というのは私が働いてる病院がシアトル郊外で、
シアトルの中心から車で1時間ぐらい離れた場所にある。

当時は、私の病院があるエリアでは感染者はゼロだったし、
最初の陽性患者が出たのも、しばらく先だった。

そして、それから先も他のエリアと比べて、
感染者も死者の数も低く抑え続けるのだった。

3月

この頃からアマゾンやマイクロソフトなどの大手の会社が、
自主的に在宅勤務を開始していた。

休みの日は、シアトルの中心部に繰り出ししていたけれど、
町は通常よりもがらんとしていて、人通りは少なくなっていた。

自宅待機令はまだ出ていなかったけど、
外にはあまり出歩かない方がよい、といった風潮になっていた。

そしてこちらでも、紙類が品薄となり、
除菌グッズがほぼ手に入らなくなっていったのだった。

働いている一般病棟では、数名コロナ感染疑いの患者さんが出るようになった。

そして、ここでマスク不足の洗礼を受けることになった。

紙製のマスクの上に、目を保護する透明なプラスチックのカバーがある使い捨てマスク。

通常だったら、該当の患者さんの部屋に入室の度に使い捨てることになっている。

しかし、その使い捨てマスクを一人の患者さんにつき、一日使いまわす、
という新しい運用方針になってしまったのだった。

誰もが不安で文句を言いたいところだったけど、世界中がマスク不足なので、
どうしようもない。

本来は使い捨てるものを使用し続ける、ということにかなり抵抗感はあった。

日本で何人も看護師が、病院でコロナに感染している事実が頭によぎる。

だが後程、下には下があり、さらに苛酷な状況の病院があることを知ることになるのだった。。。

そうこうしているうちに、私の病院のエリアでも陽性の患者さんが出始めた。

学校は休校になり、レストランはテイクアウト・デリバリーのみになり、
スーパーではソーシャルディスタンスを取らなければいけなくなってきた。

とはいっても、一般病棟全体で3人の陽性の患者さんを受け持ったのがマックスで、
その後は病院の方針で、コロナの患者さんを特定の一つのフロアに全部移すということになった。

そのため、一般病棟ではコロナの患者さんはいなくなったのだ。

近隣の、ベッドが足りないホットスポット地域の病院から、
コロナの患者さんを受け入れるかもしれない。

そんな話をマネージャーが、何度か朝礼で口にした。

しかし4月になっても、他の病院から患者さんが来ることはなかった。

シアトルのあるワシントン州自体も、毎日感染者は増えているものの、
政府から割り当てられた人工呼吸器400台を返却することが決まったりで、
感染はだいぶ抑えられてきたようだった。

それに反して、ニューヨークではシアトルでは考えられないような修羅場となっていた。

さらに去年の8月まで2年間住んでいたニューオーリンズでも、感染爆発が起こっていた。

SNSで私の古巣の病院で、医療従事者60人のコロナ陽性が判明し、
その時点で200人が検査の結果待ち、という気の滅入るニュースを発見する。

そして私の元同僚が実際に陽性になってしまった、
と告げられ、戦慄した。

NYの知事から看護免許を持っている人は力になってほしい、
というメールを数回受け取る。

ここに来て、私は罪悪感のような気持ちに苛まされるようになった。

ニューヨークに、ニューオーリンズ。

よりによって私の大切な人たちが多く住む、2つの町。

そこで、親しい人たちがこんなに大変な思いをしているのに、
私だけこんな安全なところにいていいのだろうか、と。

これまでも、2回似たような気持ちになったことがあった。

1回目は東日本大震災のとき。
2回目は、NY/NJをハリケーン・サンディが襲ったときだった。

NYは看護師仲間たちが気がかりなことはもちろんのこと、
私の知り合いの多くが、飲食業・観光業に勤めているので、
都市封鎖の状態が長引くことが、心配でならなかった。

私が気に病んだところでどうにもなるわけでなく、
自分が今できることを全うするより他はない。

そうはいっても、そんな自分よりも大変な状態にあるNY、ニューオーリンズの友人たちが、
連絡してくれて、自分の状況を話すような時は心苦しかった。

4月

4月中旬までだった契約を延長し、シアトルには7月の中旬までいることになった。

それまで、私はここで自分ができることをするしかない。

7月になったらNYへ戻るつもりで入るが、
その時点でどういう状態になっているかは、
今のところ、世界中の誰もがわかっていないのだ…。

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