1年の後

アメリカ事情

3年間住むはずだったモンタナで、半年後にまさかの失業をし、必死の就職活動をして、
ニューオーリンズの病院に採用された、という話を数回の記事に分けて書かせてもらった。

6か月先は闇 (前編)
6か月先は闇 (後編)
今ひとたびの就活 (前編)
今ひとたびの就活 (後編)
人生はローラーコースター
新しい出発と、罪悪感と

これらは、ちょうど今この記事を書いている1年前に起こったことだった。

よくある表現だが、「もう1年か」とも思うし、
まだ「1年か」とも思えるのだ。

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ただひとつだけ言えるのは、こうして記事を書く気力が出るまで、1年の時間を要したことであり、
そういった意味で、今の環境に慣れるのに、私なりにかなり大変だったことは確かだ。

暑い最中の引っ越しは大変だったが、もう慣れたものだった。

モンタナからルイジアナの長距離ドライブも、今回は時間的にかなり余裕もあり、
急ぐ必要も全くなかったら、途中に観光をしたりなど、かなり楽しんでできた。

しかし、南下を続けて、テキサスのヒューストンにたどり着いた時点、で未知の事態に遭遇することになる。

正確に言えば、決して、未知ではない。

それは日本で生まれ育った私にはまったく珍しいことではなかったのだが、ここ15年以上、ほとんど経験していなかった、
記憶の彼方に遠ざかってしまっていたものだった。

それは何かといえば、夏の恐ろしいまでの蒸し暑さである。

玄関の戸を開けた途端、ほとんど暴力ともいえるべき、暑さと湿気に襲われる。

文字通り、むせ返るようで、「何だこれ!」と思ったものの、
しばらくして、忘れていた日本の夏と同じものだと、ようやく思い出したのだった。

蒸し暑さの次に洗礼を受けたのは、凄まじいまでの夏の間のゲリラ豪雨だった。

外を歩いていようものなら、傘など全く役にたたずに、ずぶ濡れになること必須。

車に乗って運転していようものなら、ワイパーを最速にしていても、高速道路で前後全く視界ゼロになるという、
これまでの人生で1,2位を争うほどの、恐怖体験をするはめになった。

そんな初めてのルイジアナでの夏をやり過ごし、
マグノリアが咲きまくる季節感に挑戦される秋を経て、
ほとんどの日をそのまま半袖で過ごせる冬を迎え、
そしてなんとなくわからないまま春が来て、
再び夏が来て、1年の月日が流れたのだった。

その間、ニューオーリンズのわかりにくい道路、
荒いドライバー達に、ほんの少しは慣れてきたのだろうか、
と暑い中、自問する毎日である。


 

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