短期派遣のトラベルナースの仕事で、2020年の初めにシアトルに来て、
パンデミックにあった経緯については、こちらの過去記事で書いた。
コロナウィルス影響下の、アメリカのとある医療現場より
コロナに感染した患者さんが増えるにつれて、
私が当時働いていた病院は、コロナ陽性患者さんをすべて集めて、コロナ病棟(COVID Unit)を開設した。
軽症から、人工呼吸器やエクモにつながれたような重症な患者さんまで、
とにかく一つのフロアに収容することになったのだ。
派遣で働いていて、コロナ患者さんへの対応に特に抵抗がなかったので、
レギュラーで働いていたフロアから離れて、その時はそのコロナ病棟に出向するようなかたちとなった。
そして、こうしてコロナ病棟で働いたことが、自分の以降の進路を大きく変えようとは、
その時は全く予期できていなかった。
コロナ病棟で私が受け持ったのは、軽症で、意識もはっきりしているような患者さんたちだった。
先ほど述べたように、そうした軽症から重症な患者さんも全て一つのフロアに集められているので、
挿管され、人工呼吸器につながれたICUにいるような患者さんのケアのお手伝いをする機会が多々あった。
ICUの機器を間近で見て、触れる機会もこれまではあまりなく、
一つ一つがとても新鮮だった。
ICUナースと一緒に働いたのも、大きな刺激となった。
そして私の中で、もし可能だったらICUで働いてみたいな、という気持ちが芽生えることになったのだった。
6月ごろ、初夏になり気温が上がっていくとともに、コロナの患者はぐんぐんと減っていった。
コロナ病棟は閉鎖され、私を含めてそこで働いていた看護師たちは、
自分が元所属していたフロアへ戻ることになった。
しかし世間では引き続き、厳しいロックダウンが続いていた。
病院の運営もロックダウン仕様となっていたため、
ここで思いもよらない影響を受けることになった。
感染対策として、不要不急の手術はしないということになったので、
私の所属のフロアの隣にあった、日帰り手術の部署が閉鎖となってしまったのだ。
私が働いているフロアは、主として術後の患者さんをケアするところだった。
なので手術自体が行われないと、患者さんが来ないのだ。
そうなると、大半のベッドが空いてしまうような事態となってしまった。
もちろん、「不要不急」でない手術もあるし、事故などにあっての緊急施術もあるので、
患者さんは来る。
しかし、通常の半分ぐらいとなってしまったのだ。
そうなると看護師の人余りとなってしまい、
対策としては、代りばんこで休むことになり、
正社員の人は有休を強制消化。
そして私のような派遣は、働いてなんぼなので、
減給ということになってしまった。
ここに来てしばらく感じなくてもよかった、
生活の不安、将来への見通しがたたないことへの焦りなどを、
久々に感じることになった。
そして、しばらくはトラベルナースとしてずっと働きたいと思っていた自分の
プランも果たして大丈夫なのか、と再考する時期となっていた。
7月も半ばになると、ロックダウンもだいぶ緩くなってきて、
病院も手術を再開することになった。
それに伴い、私のフロアも通常運転に戻り、
休まずに働くことができるようになった。
そして、そろそろ、今の病院との契約が切れた後の、
次の進路を考える時期が来ていた。
派遣会社の担当のリクルーターから、きかれる。
「次はどこへ行きたい?」
しかしその時私は、トラベルをいったんやめようと思っていたのだった。
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