こんなはずじゃなかった… その1〰 第一次就職氷河期

語らせてくれ

4年制の大学に進学したのなら、女でも総合職に就くものと考えていた。

男女雇用機会均等法が施行されてから、今に至るまで実際そうだろう。

しかし、例外だった時があった。

私が大学を卒業した年。

第一次就職氷河期が始まった時だった。

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私の当時のスペックは

一応、私はそれなりに体裁のいい大学を卒業している。

ただ就職的に弱かった点というのも、確かにあったのだった。

サークル活動などの課外活動をしていなかった。

バイトが忙しくて、一応サークルには在籍してはいたけれど、ほとんど活動していなかったのだ。

SE系求人を全てけっていた。

恥を忍んで書くが、私は一見情報処理系っぽい名前の学部を卒業している。

実際のところは、バリバリの文系の講義しか取っていなかったのではあるが。

一般教養でプログラミングの講義は必須だったのだが、本当にぎりぎりすれすれで、なんとか単位を取れたのだ。

その際、自分は全くプログラミングの能力がないことを痛感した。

SE系の説明会の案内は、氷河期が始まったにも関わらず、いっぱい来ていたのだけど、

そういったわけで、全て断らなければならなかったのだ。

就職活動の経過

私の希望の業種は、物流、運輸関係だった。

昔から郵便や流通の仕組みを調べたりするのが好きだったし、

好きな英語を使うチャンスも多いのではないかと思ったのだ。

英語と、海外に関わる部署で働いてみたいと思ったので、

物流、運輸以外でも、国際展開しているメーカーなどにも応募した。

OB訪問などやることはやって、エントリーシートも真面目に記入した。

適性検査対策もした。

数社、ほぼ最終選考まで行ったものの、

結局、一つも希望の仕事で総合職の内定はとれなかった。

どうしても総合職か? それとも実をとって一般職か?

この時点で、私には選択肢があった。

総合職で働くことにこだわって、中小企業でも希望の業種の会社へ応募するか。

もしくは不可能に挑戦して、とりあえずSEなど、雇ってくれる業種で、いい感じの会社で内定を取ってしまうか。

それとも、自分の働きたい業種、会社にこだわって、でも総合職はあきらめて、とりあえず一般職として入るべきか。

希望の総合職を全て落ちてしまった後、一般職の求人にも数社応募した。

いくつかの会社で、一般職の内定をもらえた。

この時点で、結局総合職の内定はどこからも、もらえていなかった。

就職活動に嫌気がさしてきたところだったので、妥協して一般職の内定を受けることにしてしまったのだ。

思惑が外れる

内定をくれた会社はどんな会社だったかというと、

大手の金融系会社で、海外展開に積極的ということで有名だった。

一般職でも、せめて海外絡みの仕事ができればいい、と思ったのだ。

しかし、私が配属されたのは、出身学部をみて決められたのだろう。

IT部門で、そこの庶務とかでもなんでもなく、

一般職なのにまさにプログラムを組む仕事だったのだ。

これ以上の皮肉があるだろうか?

SEだったら、(実際内定をもらえたかどうかはわからないけど)

総合職で大手企業に採用される可能性がかなりあったのだ。

だけど、プログラムを組みたくなかったから避けてきて、

妥協して一般職になったのに、そうしなきゃいけないなんて!

我慢できなかった

そうはいっても、就職氷河期をまさに経験したのだ。

ここを辞めて、新たに仕事がみつかるなんて、とても思えない。

なので、私なりに我慢してプログラムを習得しようとした。

入社から3か月はプログラム言語の研修期間だった。

大学時代に絶対やりたくないと思ったプログラミング。

私は一浪しているのだけど、現役で進学した高校時代の同級生たちは、

自分よりも偏差値の低い大学を出ていても、皆、どこかしらの会社で総合職として採用されていた。

1年違うだけで、この差はなんなんだろう。

私も、おとなしく滑り止めで合格した大学に入ってればよかったのだろうか。

そのような思いが常に、頭の中をぐるぐる回っていた。

そして、私は屈辱感でいっぱいだった。

頑張って、一浪までして入った大学。

ここを卒業すれば、良い会社へ総合職として就職できると信じて疑ってなかった。

なのに、結局、一般職しか内定が取れなくて、死ぬほど嫌なプログラミングをしなきゃいけないなんて。

研修を一か月半過ぎたころ、私はうつ病を発し、出勤できなくなった。

一か月間は療養ということで、すぐには辞めなかったのだが、

休んだことで問題が解決するわけがないということは、火を見るよりも明らかだった。

家族、友人、知り合いの反対を押し切って、辞表を出した。

「こんないい会社辞めて、どうするの?」

と、口々にいわれて。

全くおっしゃる通りであった。

まさに社会人生活のしょっぱなから、大きくレールを踏み外してしまったのだ。

日本では一度、レールから外れてしまうと、本線に戻るのはほとんど不可能であると、

わかってはいたが、この時はどうしようもなかった。

その後、再就職するのに、一年近くほどを要し、

そしてブラック企業ウォーカー、非正規雇用人生の幕開けとなったのだった。

 

 

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コメント

  1. サンラバー より:

    はじめまして。なんとなく看護師アメリカで検索していたら、辿り着きました。
    数日分の日記?をとても楽しく読ませてもらいました:)
    私も在米、太陽のホームグラウンドの州で新人看護師として始める所です。
    私もアラフォーで入学し、40過ぎて新人正看護師です。

    看護に限らずお話したいなぁと思える、とても文章のお上手な方なのでコメントさせて頂きました。

    • 月パイン phc28095 より:

      サンラバーさん、とっても嬉しいコメントどうもありがとうございます!
      数日分の投稿も読んでくださり、もったいないお言葉まで下さって、
      今、嬉しさで取り乱してしまっているところです((;゚Д゚))
      ぜひぜひ、私もお話しさせてもらいたいです。