20年ののち 〰 バンクーバーで思ったこと

旅 / アナログ・ノマド

2002年の秋、9.11から1年たった頃に、
カナダのバンクーバーへワーキングホリデーのために向かった。

美しいバンクーバーの町、そしてカナダという国自体に、
着いた途端に魅せられ、ずっとそこにいたいと思うようになった。

カナダに永住したくて、ありとあらゆる努力をしたけれど、
結局はビザが取れなくて、失意で日本に帰ることになったのは、
過去記事にも書いたとおりである。

その後カナダではなく、こうしてアメリカに移住することになったわけだが、
ちょうど初恋の人が生涯特別な存在になってしまうように、
バンクーバーは私にとって以降、特別な町であり続けた。

いろいろな北米の町に住んできたけど、
盲目な恋愛をし、
初めて日本人以外の深い付き合いの友人を得て、
同時に生涯の日本人の友達も得たという、
数々の人生の転機になるよう経験をしたのが、バンクーバーだった。

私のそんな個人的な経験を置いても、
バンクーバーは「住みたい町ランキング」で常に上位にランクインする、
客観的にも魅力的な町なのである。

こうして長い間離れていても、常に心の片隅にあり続け、
どうにかチャンスがあるならいつか戻ってみたい。
そんな気持ちにさせるのが、私にとってのバンクーバーだった。

2020年の初めからシアトルで働き始めて、
落ち着いてすぐに私がしようと思ったのは、
シアトルからバンクーバーへ行くことだった。

ご存じの通りバンクーバーとシアトルは国境をまたいで隣接しており、
車で3時間強、多くの便があるバスでも4時間ぐらいで行くことができる。

バンクーバーに住んでいた時、幾度かシアトルと行き来したことがあったが、
今回は逆ルートでそうすることとなった。

私がバンクーバーに住んでいたのは、2002年の9月から約半年ほど。
実にそれからほぼ20年の歳月が過ぎてしまったことになる。

バンクーバーに着いて、少なからずの変化を目にした。

馴染みの店はなくなっていたり、場所を移転していたりした。

その当時親交のあったカナダ人に連絡しようと思ったが、
メールアドレスがすでに失効してしまって、
結局連絡がとれなかった。

だが、それらを除いて大方は20年前と変わっていなかった。

私が恋に落ちて、愛したバンクーバーのままだった。

きれいでちょうどよいサイズの町。

海と山の完璧な調和。

ああ、私はどうしてこんな自分にとって完璧な町から離れてしまったのだろう?

当時ビザが取れなかったとはいえ、どうして、意地でも粘ってしがみついて、
死に物狂いでも、別の滞在できる方法を試さなかったのだろうか。

20年ぶりに戻ってきて私が思ったのは、そのようなことだった。

パンデミックが本格化して、国境が封鎖されてしまうまでに、
私は何度かバンクーバーに行った。

そして、どうにかしてまた長期滞在したいと思うようになっていた。

バンクーバーの学校に通ったり、
カナダの看護免許を取って、バンクーバーで働く。

そんなことを真剣に考え、リサーチし、
実行に移そうとしていた。

そこで、パンデミックが起こって、
全てがまた頓挫してしまうことになった。

またしても。
と、そう思った。

これだけバンクーバーに住みたいと思ったのに、実現ができなかった。

そのことに対して、もっとショックで悔しがったり、怒りを感じると思いきや、
自分でも意外なほどに、私はその残念な事実を冷静に受け止めていた。

きっとこれまでの数々に及ぶ挫折の経験で、私自身がこの20年で変わっていたのだろう。

バンクーバーに移り住むことはできなかったけれど、
この2年間、そのかわりにパンデミック下であるにも関わらず、
アメリカ国内で、だいぶ豊かな経験をすることができた。

なので、それはそれで仕方なく、受け止められることができている。

今でもまたチャンスがあればバンクーバーに住んでみたいと思うけれど、
実際に間近でそうする機会はない。

そのように定められていれば。

いつか、バンクーバーに住む時が来るのだろう。

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