2016年の11月にNYから引っ越して以来。
昨年末は実に3年ぶりに、ホリデーシーズンをNYで過ごすことになった。
過去記事に書いてきたように、非正規雇用だったゆえ、
NYにいた頃は、たいてい休日は働いていた。
ホリデーシーズンの憂鬱
ぼっちクリスマスイブの休日を、持て余す
しかし、今回は感謝祭、クリスマスイブの日はオフだったので、
おそらく看護師になって以来、初めて人とお祝いの席につくことになった。
トラベルナースの初仕事の任地は、NYC近辺とこだわった。
それは、ある意味私にとっては3年間頑張って、
ようやく自分が希望した仕事・ライフスタイルを手にして、
NYへの凱旋ということにしたかったのだ。
同時に3年間離れてた間でも、
変わらずに私のことを気遣ってくれた大切な人たちと、
ホリデーシーズンを一緒に過ごしてみたいというのもあった。
とはいっても、前の記事に書いたように、
トラベルの初仕事は、トラブルに続くトラブルで続きで、
最初の1か月は心身ともに、問題を解決することに消耗されてしまった。
そんなわけで、当初思い描いていたほどは、
NYでのホリデーシーズンを満喫できたわけではなかった。
それでも、とにかく無事に3か月間の契約を全うできたし、
会いたかった人にはほぼ全員会えたので、
よしとすべきだろう。
その3か月を通じて実感したのは、
今この世の中、いつでもどこでもネットで繋がることができ、
時間や距離の制約がなくなったように思われているが。
それでも、実際に会うのと、
ネットや電話だけでつながっているのとは違うな、と感じたのだ。
では何が違うのか、と聞かれると、
具体的に、どう言葉にするかははっきりできない。
でも親しい人と会いたいと思ったら、
その日のうちに会いに行ける距離に住んでいるというのは、
あきらかに、そうではない状態とは違うな、といえる。
今回、ずっとお世話になっている方が、
感謝祭のディナーに招いてくれた。
テーブルに着く、立食ではない、
私にとっては初めてのフォーマルな、感謝祭のディナーだった。
そして、クリスマスのディナーもとあるご一家のに参加させてもらえた。
古くからある、特別な時に家族で集まって一緒に食事をする、というのは
やはり意味があるからこうして今まで続いているのだろうな、という気がした。
何年も仕事が不安定で、生活の基盤が確立されておらず、
とにかく、その日その日生きるのが精いっぱいで、
一人で突っ走て来た。
なので、クリスマスに出勤したりだとか、
感謝祭の日一人で、他の人から同情されることがあっても、
本人としては何とも思うことがなかった。
だが、こうして状況が変化し、ある程度の余裕が出てくると、
憐れんだ人が言わんとしたことが、なんとなくわかるようになった気がした。
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