バージニア 2021年3月 〰 11月

アメリカ看護師関連

長く勤めるつもりでいたシアトルの仕事がうまくいかなかったことについては、
こちらの記事に書いた。

シアトル 2020年11月〰2021年3月

そんな時に、この病院と同時期に応募していたバージニアの病院のマネージャーから連絡があって、
スカウトされて、その病院へ移ることになった。

長く腰を据えるつもりでいたシアトルを離れるのは気が引けたし、
シアトルのマネージャーに退職を告げた時もひと悶着あって、
心が乱れた。

そして、仲がよかったシアトルの下宿先の大家さんとの別れも辛かった。

そんなわけで、後ろ髪を引かれるような感じでシアトルを後にした。

バージニアまでは5日間かけて車で移動したが、
今回は新しい病院のオリエンテーションの日程が間近に迫っていたので、
のんびりと向かうことは許されず、
途中下車などはもっての外で、ほとんど一日中運転するような感じだった。

以前の記事にも書いたが、今度の病院のある町がかなりの過疎地だったので、
大いなる不安を持っての引っ越しだった。

だが、結果として良いかたちで裏切られることとなった。

確かに過疎地ではあったが、生活に必要最低限のものは揃っていたし、
これまでに住んだ過疎地との違いとして、
行こうと思えばニューヨークまで一日で行けるというのがあった。

というわけで、バージニアのこの町に住んでいた間、
最低月一回はニューヨークまで繰り出していた。

肝心の仕事の面でも、自分が思っていた以上に働きやすかったし、
貴重なICUの経験をつめることができて、本当によかったと思えた。

できれば、せめて一年はこの病院で勤めたい、と思っていた。

なのに。

またしても。

運命は私にそうさせてくれなかった。

ここでもスタッフが次から次へと辞めていき、
空前の人手不足となっていった。

これは私にとって決して未知のことではない。

看護師になってこのかた、常に経験していたことではあった。

だが、この病院では人手不足の度合いが通常の次元を超えていた。

人の命が関わっている仕事だというのに。

常に危険を感じ、患者さんの命、
自分の看護免許が、
危険にさらされている気がしていた。

一人、また一人同僚たちが辞めていく。

もう、これ以上自分がこの職場で働ける自信がなかった。

これ以上ない葛藤はあった。

アパートの契約も1年契約だったし、
病院とも2年の契約を結んでいて、
契約ボーナスをもらっていた。

1年未満で辞めてしまうとなると、
それら契約違反に対して、支払いの義務を負うことになってしまう。

しかし、この時点で私はもうそうしてもいいと思うようになっていた。

就職活動を始め、いくつかの病院へ応募し始めると、
なんと次々と内定をもらえて、
結局応募した全てのポジションから、ジョブオファーがきてしまったのである。

過去の状況とはあまりの差に、相当とまどってしまったわけだが、
古巣のニュージャージーの病院のICUから内定をもらえて、
それを受けることにした。

こうして8か月ののちに、バージニアを後にすることになった。

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