この世の中で素晴らしいこととして、出会いというのは欠かせないというのは常々思うのだが、
それは何も人には限定されないと思う。
素晴らしい音楽、本、映画など、人同士の出会いでなくても、
優れた作品と出会うのは、人との出会いに勝るとも劣らず、貴重な機会だと私は信じている。
いろいろなこと全般に言えることかもしれないけど、
年をとればとるほど、どんどん保守的になっていって、
自分が若い時に好きだった作品を繰り返し鑑賞する、という感じになってしまっていると思う。
動画配信サービスを見ていると、気が付けば90年代ヒットメドレーとか、2000年代ランキングとかをそればかり、
聴くようになってしまっていた。
アメリカの流行りのヒット曲は、それなりに耳にすることは多々あるにしても、
今、日本でどんな曲、アーティストが流行っているかなんて、全然興味がなかったから、
数年、全くノータッチで生きてしまっていた。
それがここ最近、インターネットラジオで最新のJ-popに触れる機会があり、
最近の曲もいい感じの曲があるな。
特にここ最近の曲は、馴染み深い90年代の音楽に近いんじゃないかな、
なんて思いながら、聴いていた。
そんな中、決定的な出会いがあった。
ラジオを聴いていたら、とても素敵なJpopを耳にした。
ただ、その曲は最近のものではなく、2000年にリーリスされた曲だった。
当時、私はまだ日本にいたし、Jpop全盛時代で、多少の洋楽は聴いていたものの、
大部分は、私本人でもMiniDisKなどで、Jpopを聴いてた時だった。
なのに、当時の私は全くこの曲について知らなかった
アーティストのキリンジについてすら、名前こそなんとなく知っていたとは思うけど、
曲については、1曲すらも聴いたことがなかったと思う。
それを2018年の後半を過ぎ、日本を遠く離れたアメリカの片隅で聴くことになろうとは。
そして、私は彼らのその曲に、一瞬で陥落してしまうこととなったのだ。
Youtubeのコメントなどを見ると、
「どうして、こんな良い曲を今まで知ることがなかったのだろうか」
などあり、私の中の一部はそのコメントに大いに同意していたりもする。
反面、2000年時点の自分がこの曲を聴いていても、
決して今2018年の自分が心揺さぶれたほどは、感銘を受けなかったのでは、とも思うのだ。
全ての出会いは、起こるべくタイミングでもって起こる、などど、あまりにもありふれた言い回しがある。
ありふれているけど、きっとそれなりの真実は含まれているのだろう。
私は2018年に、日本を遠く離れて、この曲に出会ったのは、きっと最適のタイミングだったのだろう、と。
40を過ぎ、日々感じる老いに打ちのめされ、負け組の人生にやるせなさを感じる毎日の中。
やるせなくも美しい、この曲を聴くと、結局、私のこの失敗だらけの、イタかった人生も、
全て、この美しい曲を味わうためだったのではないかと。
私の負け組の人生も、そうして肯定されるような気がしてくるのだ。
 
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