30代後半で学校に戻って 〰 正看護学校(後編)

NY

准看の学校はニュージャージーにあったが、

正看の学校はニューヨークのマンハッタンにあった。

そのため、正看の学校へ進学する際、ニューヨークへと引っ越した。

しかし、職場はニュージャージーにあったため、遠距離通勤することになってしまったのだった。

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午前3時50分起床

こんなはずじゃなかった… その3 看護師なのに非正規雇用の仕事しかないなんて

こちらの記事で書いたように、

人員削減の結果、私は週2日しか、当時働いていた老人ホームで、働けなくなってしまった。

しかし、今にして思うと、経済的には苦しかったものの、

かえってそれくらいが、ちょうどよかったのかもしれない。

というのは、下宿先・学校から職場まで2時間以上かかってしまうので、

例えば週4日入れたとしても、通うのが大変だったはずだ。

学校はフルタイムで週5日だったから、勉強との両立も困難を極めたに違いない。

週末の土日の朝7時から午後3時までが、私の勤務シフトだった。

週末だと、電車の本数が少ないため、7時に間に合うためには、

早朝というか夜中の3時50分に、起きなければならなかった。

少し早めについてしまうので、

いつも老人ホームの近くのダンキンドーナツに入って、

朝食をとりながら、試験勉強をしていたのを思い出す。

緊縮財政

准看護学校の時のレストランのバイトに比べて、

たとえ週2日でも准看として働いているので、収入はだいぶ増えた。

しかし、准看護学校の時にあてにしていた貯金は、この時点で使い果たしてしまったので、

だいたい私は月10万円で、すべてをやりくりしなければならなかった。

一回り以上年下の、日本人の学生の子達と4人で、

ルームシェアする家賃が約6万5千円。

残りを携帯代や食費や定期代にあてれば、いっぱいいっぱいだった。

クラスメート達は、数年、准看として働いた後に

学校に来ている子もいて、リッチな子が多かった。

車で通学し、かばんはヴィトンとかグッチだった。

そこまで豊かにならなくてもいいから、

せめて週2日の勤務が週4日なれば、収入も2倍になるので、

生活もずっと楽になるはずだ。

それなので、信じてない神にも祈り、

四捨五入すれば40にもなろうともいうのに、願いが叶うおまじないなどがあれば、

片っ端からして仕事が増えるのを願い、実践していた。

携帯のメモ帳に、願いことを書くだとか、そういうことを真面目にしていたのだ。

何分、My Birthdayを愛読していただけのことはある…

おまじないの成果

いくつか試したおまじないのうち、どれかが効いたのだろうか。

ニュージャージーの老人ホームで働いてから1年たった時点で、

私は看護師専門の派遣会社に登録し始めた。

日本の派遣会社と一緒で、未経験だと派遣会社には登録できなかったのだ。

数社登録して、数か月たった後、ようやく私はニューヨークの老人ホームで、

派遣の准看護師として働けることになったのだ。

そして祈り続けたように、週4日、シフトに入れてもらえることになったのだった。

学業との両立も、通勤時間が短くなったので、

働く時間が2倍になっても、なんとかこなすことができた。

しばらくはそのまま、ルームシェアを続けて、

たまっていたクレジットカードローンなどを返済し、

ようやく生活に一息つける状態になった。

学校も無事に卒業し、国家試験にも合格して正看護師になった。

それから数か月後、念願だった一人暮らしも始めることができ、順風満帆のように思えたのだが、

そこへ来て、私は人生で最大の挫折を味わうことになったのだった。
 

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