~シーズン3~自称コアな原作ファンが語るNetflix「アンという名の少女」

語らせてくれ


 「アンという名の少女」のシーズン3が、少し前にリリースされた。

シーズン1とシーズン2の感想は、こちらの記事で書かせていただいた。

自称コアな原作ファンが語るNetflix「アンという名の少女」

今回もしょっぱなからネタバレ全開で進めさせてもらうつもりなので、

未見で楽しみをとっておかれたい方は、ここから先は読むのをお止めください…。

 

 以下、ネタバレ注意

 

全般的な感想なのだが、シーズン2から引き続いて相変わらず脚本がうまくて、

スルスルとエピソードを重ねて、最後まで一気に見てしまった。

しかし、である。

見ている中で、何か私の中でもやもやしたものが常にあり、

それが全エピソードを見終わるまで、ずっとあり続けたのだ。

面白かったか、といえば、答えはイエス。

だけれど、この作品を全く「赤毛のアン」とは関係なく、それでもおもしろい作品だからといって見るか、と聞かれれば、答えはノーである。

私がこの「アンという名の少女」をなぜ見たのかといえば、

コアな「赤毛のアン」のファンだからであり、アンに関連するものだったら、

例えば、連続テレビ小説の「花子とアン」のような作品も含めて、

可能ならば全てに目を通したかったからだ。

前回の記事に書いたように、この作品の脚本、演出は全体的に素晴らしいし、

なんといっても私の中で、史上ダントツのイメージ通りのアンの女優さんが演じてるのである。

他の登場人物のキャスト、描かれ方も、大方違和感はない。

しかし。

アンに次いで最重要人物である、マリラ、マシュー、そしてギルバートが、

キャスティングはともかく、描かれ方がどうも、私としてはふにおちなかったのだ。

私が、または他の世の女性たちが「赤毛のアン」に惹かれるのはどうしてだろうか。

それはコンプレックスのかたまりのアンが、マリラの厳格な方針に折り合いをつけつつ、

不自由な中で自分を確立していく過程に、自らを重ねてる部分が大きいのではないか、と思うのだ。

同時にアンだけではなく、マリラ、マシューというあまりにも愛情に、人生に不器用な姉弟が、

アンを通じて人間関係が開け、人生の豊かさを感じていく過程もみているのだ。

しかし、この「アンという名の少女」では、この2つの要素がものの見事に欠落しているのだ。

シーズン1の初期のエピドードで、アンは正式にクスバート家の養女にされるし、

マリラから目にも耳にも聞こえるかたちで、愛情表現をされているのだ。

さらにこのシーズン3では、I love you, とまでアンに告げてて、

もう私としては、これはマリラでも何でもない。

マリラ、マシューとの関係の次に、「赤毛のアン」ではギルバートとの関係も一筋縄でいかない困難な過程として描かれている。

原作では、ラスト近くで2人はようやく和解するのだが、この作品ではやはりシーズン1の早々で、わだかまりはなくなってしまっている。

それはまだいい。

原作ではそれからアンがギルバートを恋の対象として意識し始めるのは、シーリーズ数冊分をかけた、だいぶ先の話なのだ。

さらに最終的に結ばれるのは、紆余曲折、誤解と困難を経てからとなる。

しかし、この作品ではアンがギルバートへの恋心に目覚め、それをダイアナやマリラに向かって恋心を語るまでの有様である。

こんなのアンじゃない。

原作のアンは誰の目から見てもギルバートに惹かれているのに、

それを人から指摘されると全力で否定する頑なさで、

その不器用さぶりに読者はやきもきもすれば、共感するのが一つの醍醐味ではあったのだ。

 

…と、私がこの作品に感じた違和感をとりとめもなく書かせてもらったのだが、

結局のところこの「アンという名の少女」は、「赤毛のアン」の2次創作の、同人誌のようなものなのだろう。

2次創作としては、出来はものすごくいい。

ただ、私の好みに合っていないのだ。

この作品では、バッシュの妻のメアリーの死など一部をのぞいて、原作にあった人生のままならなさや不自由さという要素がなく、

物事があまりにもうまくすすみすぎているのだ。

物事がうまくすすんでいるといえば、このシーズンではダイアナである。

原作ではダイアナは両親の方針で、進学ができず、クイーン学院へ行くアンとは別れてしまうことになる。

そしてそのまま結婚して主婦になり、さらには年をとるにつれ太ってしまうというように、

アンの人生が上昇していくのと、全く対照的な存在として描かれることになるのだ。

原作ではおとなしく両親に従い、つまらない人生を送ることになってしまうダイアナが、

このシリーズでは、シーズン2のギルバートに負けないぐらいの大暴れをした。

まず、一度は負けそうになったが周囲の助けをあって、結局クイーン学院へアンと共に進学できるようになった。

それだけではなく、びっくり展開として、マシューの農場のお手伝いに来ているフランス系カナダ人のジェリーと、身分違いの恋もしてしまっているのだ。

ここまで原作との違いに散々文句をたれてきた私だが、ダイアナのこの暴れっぷりは嫌ではなかった。

むしろ彼女がクイーン学院へ行けないことを、気の毒に残念に思っていたから、正直嬉しかった。

アンの人生は自分の投影対象としてあまりうまくいってほしくないのだが、

ダイアナやギルバートの人生は、アンの人生に影響しない部分においてはそれでもいいと感じてしまうのだ。

2次創作として、この作品では「こうであったら簡単でスムーズでいいのに」ということが全部かなっている世界なのだ。

マリラが優しく愛情を示してくれたらいいのに。

マシューが死ななくて生きてくれてたらいいのに。

ダイアナとクイーン学院へ一緒に行けたらいいのに。

ギルバートとすぐに結ばれたらいいのに。

繰り返すが、私はちょっと違うとは思うのだけど、まあこういう解釈が

あってもいいのだとは思う。

最後になるが、

この「アンという名の少女」、このシーズン3をもってどうやら終了してしまう見込みになってしまったようだ。

制作サイドの利権の問題とのことらしいが、継続を訴える署名集めもカナダでされてるとのことで、

シーズン4制作の見込みは、薄いながらもゼロではないとのことだ。

今回新キャラで登場したネイティブ・カナディアンの少女の伏線、ダイアナとジェリーの恋の行方も回収されていないので、

いろいろ文句は言ったが、シーズン4が製作されるなら、待ちたいところだ。

 

 

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